久々のフラペチーノはやはり甘すぎる。
なにかのキャンペーンでもらったスターバックスのチケットが700円分あったのである。700円未満の商品だと釣り銭が出ず、ちょっとした損になる。 ところが、スターバックスで700円以上の飲み物というとフラペチーノぐらいしかない。ラテをヴェンティサイズで注文する手もあるが、さすがにデカすぎる。
もちろんいただいたものだから損というのもおかしな話だが、やはり額面を割ってしまうと損した気分になってしまうものだ。
季節のフラペチーノがいちごだったので、カスタマイズでチョコレートチップをつけ、トールサイズで注文。 実際飲んでみるとやはりあまい。かなり甘い。これをお茶請けに熱い茶や苦いコーヒーを飲みたいと思った。
ところで、スターバックスは甘い飲み物を飲んでいるだけなのにもかかわらず、みな思慮深い顔つきで座っているのが良い空間だな、と思う。かつて喫茶店やカフェはコーヒーのアロマと、タバコやちょっとした菓子をたしなみつつ、会話や思索にふける大人のリラックス空間であった。昔ならコーヒーを飲めない人間を「子ども舌」と揶揄しつつその空間から排除していた。コーヒーを飲める舌を持つことが大人と子どもを分ける境界線として認識されていたのである。
私の友人に極めて優秀な営業マンがいる。そんな会話術に長けた彼でも、得意先で出されるコーヒーを一口も飲めなかったそうである。というのもコーヒーの苦みが苦手らしく、コンビニのコーヒー牛乳程度に甘くしてようやくなんとか飲める程度であった。少しずつ砂糖やミルクを減らしていき、今ではようやく客先で出されるブラックコーヒーを飲みながら商談できるまでに至ったそうである。
彼のように実際には珈琲が飲めない大人が、あるいは飲めても楽しめてない人間が相当数いるようである。スターバックスは彼らを大人の空間に取り込んで居場所を与えたのであった。
そうして自分も激甘のフラペチーノを東京のハイソなオシャレ空間ですするのであった。